麦秋
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俳人 飯田龍太さんが亡くなられたと昨日の新聞で知りました。
放哉や山頭火の俳句や生き方が好きでしたが、自分でも俳句を作ってみたい、俳句っていいなぁと本当に思ったのが、飯田龍太さんの句に出会ったからでした。
ワタシが衝撃を受けた句が
いきいきと三月生る雲の奥 (龍太)
という句でした。
この句に出会ってから、全集を手に入れたりしていました。
新聞の死亡記事を読んでも、世俗にまみれない孤高を貫いた凛とした人だったようです。甲府市内を見下ろす、旧境川村の旧家で木々に囲まれ暮らしており、「自然とは親しみて馴れなず」というのが、口癖で、「山を見ているつもりで、山に見られている。自分がもう自然の一部になってしまったと感じます」とも記事には書かれていました。
ワタクシも五日市の自然の中で、また全集を座右の書として勉強したいと思いました。山頭火ではないが、一度、ウォーキングで墓参に行きたいと思います。
合掌。
白梅のあと紅梅の深空あり (龍太)
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飯田龍太全集 第一巻 俳句 1 著者:飯田 龍太 |
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俳句入門三十三講 著者:飯田 龍太 |
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井上井月って知ってますか。新潟の長岡藩の武士だったが、新潟の地震で家族を亡くしてから、放浪の旅に出て、いつしか、信州の伊奈谷にたどりついた。
俳句や書を書きながら、家も持たずに乞食同然の姿で30年間も、伊奈を放浪し、一度もふるさとに帰ることなく、野垂れ死にした。「乞食せいげつ」「虱せいげつ」とか呼ばれていた。明治20年(1887年)3月10日。伊那市美すず大田窪にて没。享年66歳。
辞世の句といわれているのが
『何処らに鶴の声聞く霞かな』
残した句は1700句にも及ぶ。また、書の達人で、彼の書を認めた芥川龍之介は「入神の域」と評価した。腰に瓢箪をぶらさげて俳句や書のお礼にお酒を振舞われると「千両千両」というのが口癖だったそうです。
そんな井月を敬愛したのが山頭火。彼は昭和7年の夏に「井月全集」で、彼を知る。読後の日記には「井月の墓は好きだ。書はほんとうにうまい」、「私は芭蕉や一茶のことはあまり考えない、いつも考えているのは路通や井月のことである。彼らの酒好きや最後のことである」と書いている。
山頭火は彼の墓を二度訪ねたが、一度目は途中で病気になり断念。2度目にようやく墓前にたどり着き彼の墓石に酒を注ぎながら四つの句を残した。昭和14年5月のことである。
「お墓したしくお酒をそそぐ」
「墓をなでさすりつつはるばるまいりました」
「駒ヶ根を前にいつもひとりでしたね」
「供えるものとては野の木瓜の二枝三枝」
| 井上井月伝説 著者:江宮 隆之 |
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井月 著者:大星 光史 |
●ワタシのお気に入りの井月の句
「乞食にも投盃や花の山」
「明日しらぬ身のたのしみや花に酒」
「旅人の我も数なり花ざかり」
「軽等おのれひとりの秋ならず」
「若鮎や背すじゆるさぬ身のひねり」
「およびなき星の光や天の川」
「山笑う日や放れ家の小酒盛」
伊奈に行くのには、新宿から出ている高速バスが便利。新宿から伊那市まで、約3時間。料金も3460円と格安。伊那市から井月の墓までは歩いて1時間くらい。途中、句碑がいくつもあるので、マップを入手すれば楽しいウォーキング。
羽広温泉という温泉もあり、日帰り温泉「みはらしの湯」や近くに公共宿泊所「はびろ荘」がある。ここの、宿泊所は無料で「みはらしの湯」に入ることが出来た。私も一人でここに泊まり、地酒をのみながら「ざざむし」とか「はちのこ」とかの珍味を食しました。料金も安く、素泊まりで4770円、二食付きでも6975円。ただ、バスの便がよくないのでちゃんと調べていかないと大変。
伊奈には美なる食もたくさんあります。まず、伊奈といえば当然「ローメン」なわけだけど、ちゃんと「ローメンズクラブ」なる組織があり、伊那市内の「ローメン屋」が紹介されているホームページもあります。ワタクシは、ローメンの元祖といわれている「万里」で、マトンの焼肉とかレバ刺しとかをビールでやりながら、仕上げに「ローメン」を食いました。麺とマトンのスープ焼きそば。ですね。ビールとかに合います。やみつきになる味です。ちょっと前まで、東京に一軒だけローメンを食わせる店があったのですがいまはもうありません。ネットでローメンさがしていたら、中央高速の談合坂SAの下り線にソースローメンの店があると書いてありました。いってみなくちゃ。
それとソースカツどんも有名。ワタクシは食しませんでしたがぜひ今度チャレンジしたい。やっぱあんだよな。「伊那ソースかつどん会」とかいうのが。
あと、なんといって伊奈といったら珍味でしょ。ワタシも食いました「ザザムシ」。子どもの頃「蜂の子」は、とってもミルキィで、蜂の巣があると争って獲ってむさぼり食っいましたが、川で遊んでいて、ザザムシとかいても、食おうという気がわきませんでしたが、伊奈のシトたちは凄いね。よっぽど動物性たん白がなかったからなんでしょうか。いつか、立川駅の小荷物係りでバイトしていた時、伊那から来たという作家志望のシトが、駅構内のこぼれた米に群がる鳩たちを見て、「あれ捕まえていいんでしょうか」と聞いていたことを思い出しました。昼休みに、米粒と籠を用意して、捕まえようとしましたがつかまりませんでした。彼には、立川駅構内は凄い食糧の宝庫だと思ったのでしょうね。
そんなわけで伊那の有名店は「かねまん」です。ご興味のある方は、そのホームページから注文できますからどうぞ。ザザムシはちょっと癖がありますね。かねまん以外でも購入できるところとか食べられるところも紹介されています。もっとすごいのが、「ざざ虫」をきっちり研究しているホームページ。あたまがさがります。伊那のシトは、川原を見ると涎がでるのかもしんない。伊那のシトとザザムシ君たちに合掌ですわ。
いずれにしても伊那市はなんだか豊かな街だよな。放浪の俳人をちゃんと受け入れる土壌があったり、珍味があったり、温泉があったりで。
また伊那市には多くの「双体道祖神」が多くある。これも井月の墓の近くにあった道祖神。これをテーマに廻るのもいいかもしれません。
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海童って誰?
防府に眠る俳人。「海童」とは、夏目雅子さん(本名:小達雅子、伊集院静氏と結婚して西山雅子さんに)のことです。
母親から教えられて幼少の頃から俳句を作っていた伊集院静氏に連れられて、写真家の浅井慎平氏が主催する「東京俳句倶楽部」の句会に出たのが俳句づくりのきっかけになったそうです。俳号もイラストレーターの矢吹申彦さんが、彼女の後見人になり、海辺に立つ彼女のイメージを「海童」としたそうです。ちなみに、伊集院静さんの俳号は「昆陽面」。
彼の俳句には
「台風が来たから逢いにいけない」、「だぼ鯊の乳うにつく海の艶」、「鍋焼きを投げつけた女がいた」、「廃馬夕立の中動かず」などがある。
彼女の墓は、防府駅から山頭火の墓とは反対側の南口から歩く。三田尻塩田記念公園のほうに歩く。大楽寺があり、そこの墓地。ちなみに、多磨霊園に小達家の墓があり、そこにも分骨されているそうです。
伊集院静氏の本名である西山家の墓の中に彼女は眠っている。南に海を臨む高台に、彼女が好きだったひまわり畑に囲まれて眠っている。白血病で亡くなった彼女。彼女の母親が中心になり、白血病の治療の副作用で髪の毛が抜け落ちる人のために、医療用かつらをつくる基金をつくりました。
彼女の大好きな花、ひまわりの花の名前をつけて「夏目雅子ひまわり基金」と呼ばれています。
海童の句は、なんか艶があり、彼女の汗まで感じるようなとても艶やかで率直な句ばかりで好きです。このような句は、男のワタクシにはなかなか出来ませんが、作ったときの風景がなんだか目の前に浮かびます。キーワードは、性愛かもしれません。そうやって彼女の俳句を見つめるとなんだか怪しげな雰囲気を感じてしまったらします。
まあ、ワタクシも彼女の写真でも眺めながら精進しなくちゃ。合掌。9月11日が命日だから、もういちど行ってみたいなぁ防府へ。再度、合掌。
■ワタクシの好きな海童の句。
「結婚は夢の続きやひな祭り」
「湯文字乱れし冷奴の白」
「青蚊帳にいつしかとなく落日」
「通り雨そっと握った蝉の抜け殻」
「折れている月見草の花情人変わり」
「風鈴よ自分で揺れて踊ってみたまえ」
「あの人を鳥引く群れが連れて行く」
そして、最後の一句。入院中の8月2日に、慶応病院の窓から、伊集院静氏に抱きかかえながら見た、神宮の花火の輝きを見て作った句。
『間断の音なき空に星花火』
夏目雅子を紹介する本は、死後にいくつかだされていますが、俳句をたくさん取り上げたものもいくつかあります。そんな本たちをご紹介。
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優日雅(ゆうにちが) ~夏目雅子ふたたび 著者:森 英介
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小郡から防府に。ホテルに☑後、街をふらふら夕飯&飲みタイム。駅近くの居酒屋で飲んだあと、B級グルメで有名な「ひかり食堂」へ。怪しげな名前のメニューがずらずらと並ぶ。こっちは二軒目でよけい怪しいので、怪しい勝負合戦で、地酒や焼酎をぐびぐび。山頭火とか海童の情報を入手。どこにいるか分からずにタクシーを呼んでもらってホテルに。熟睡。
山頭火の生まれ故郷であり、墓かがある防府の入り方としては、一様、山頭火風にやったつもりですが、二日酔いで頭が痛い。そんなことは言ってられないので、とにかくスタート。生家跡、句碑、護国寺、をめざす。
いたるところに「ふるさと」を詠った句碑が。駅前には『ふるさとの水をのみ水をあび』
駅から北側に進む。大福屋の前には『まんじゅうふるさとから子が持ってきてくれた』
ワタクシも泊まったとなりのサンピアホテル防府にも『あたたかく人も空も』
生まれた家のなにもない場所に句碑だけがぽつん。『うまれた家はあとかたもないほうたる』
生家跡から山頭火が小学校まで通った道が「山頭火の道」として整備されている。家々の軒先に彼の句がそれぞれ手書きで書いて吊るされている。
小川に沿った気分の良い道。この道が突き当たったところにお菓子屋が。又月堂。 毛利家御用達の老舗。羊羹を購入してしまいました。
生家跡の前には『分け入っても分け入っても青い山』
山頭火の墓がある「護国寺」前にも『涸れきった川をわたる』。山頭火が亡くなったのは、四国松山の「一草庵」。昭和15年(1940年)10月11日午前4時50分。友人と句会を催し泥酔のまま先に寝てそのまま大往生の「コロリ往生」。脳溢血が死因。「山頭火心居士」が法名。「種田山頭火法師十月十一日未明松山一句庵に於て脳溢血にて大往生いたしました。つつしんでお通知申し上げます。」の文面の葉書が発送された。
辞世の句は「もりもりもりあがる雲へ歩く」。いいねぇ。
その山頭火が眠るのが護国寺。駅からは結構離れていますが、句碑をめぐりながらぶらぶら歩くには丁度いいコース。
思わず、墓を撫でて合掌。「お墓撫でさすりつつはるばるまいりました」の心境。
この句は、山頭火が伊奈の俳人「井月」をようやくの思い出尋ねたときに墓前で即吟した句のうちのひとつ。ほんとうにワタクシも、高校時代からあこがれていた彼の墓前に来れたことを感謝。再度、合掌。
境内には、彼の墓のほか句碑がいくつか。本堂のなかにもいろんな記念のものが展示されていて見学をさせてもらいました。
■ワタクシのお気に入りの山頭火の句(いまバージョン)
「まっすぐな道でさみしい」
「どうしようもないわたしが歩いている」
「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」
「うしろすがたのしぐれていくか」
「何を求める風の中ゆく」
「おちついて死ねそうな草枯るる」
「この旅、果てもない旅のつくつくぼうし」
「投げだしてまだ陽のある脚」
「酔うてこおろぎとねていたよ」
「まったく雲がない笠をぬぎ」
「鉄鉢の中へも霰」
「ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない」
「山へ空へ魔訶般若波羅蜜多心経」
「へふへふとして水をあじわう」
「さくらさくらさくさくらちるさくら」
うしろすがたのしぐれていくか
■山頭火関連のおすすめ本
●「どうしようもない私」(岩川 隆/講談社文庫)・・・とてもわかりやすい山頭火伝。
●「放浪行乞」(金子兜太/集英社文庫)・・・山頭火120句のユニークな解釈。
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種田山頭火―うしろすがたのしぐれてゆくか 著者:村上 護
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小豆島から船で岡山まで、高速艇なら35分、1400円。普通で1時間10分850円。岡山港からバスで新岡山へ。新幹線で小郡に。
小郡は山頭火が昭和7年から13年まで、年齢でいえば51歳から57歳まで住んだ「其中庵(ごちゅうあん)」がある。また、山頭火記念館もあるので、生地でもあり、墓所もある防府には、戻る形になるが、新幹線も止まるなど、交通の便を考えて小郡を先に回る。
小郡の駅前には、酒とっくりが傘をかぶったモニュメントが聳えて、ちょっとおどろく。駅前は、山頭火がいつも通っていた酒場街が残る。
なんと「山頭火」という名前の居酒屋があるのでここでもびっくり。
駅から、北側の山の手に15分ほど行くと「其中庵」がひっそりと建っている。
59歳で松山の「一草庵」で「コロリ往生」する前の最後の充実した時をおくるのにふさわしい雰囲気の場所にある庵の感じがする。
復元された庵ですが、山頭火の使用した机やら母の位牌やらがそのままんまにぽいと置かれている感じがいい。
便所もそのままんまに復元されているそうで思わずパチ
リ。庵の前、後ろの柿木もそのまんまの姿でたっているようで思わず撫でさすってしまいました。
庭には、「はるかぜの はちのこひとつ」の句が、牛の寝た姿の石に刻んである。駅から庵までの道筋にも道標のように句碑が建っている。
「母よ うどんをそなえ わたくしも いただきます」、「いつしか 開けている 茶の花」、「ふけて やまかげの あれはうちの火」、「誰も来ない 茶の花が散ります」、「この柿が 庵らしくする あるじとして」、「お地蔵様も お正月の お花」、「水音の しんじつ おちつきました」。庵から駅までを逆に歩くとこの句碑がところどころに道案内を。
駅前の句碑「へふへふとして水を味わう」。反対側には、山頭火の像の台座に「まったく 雲がない 傘をぬぎ」。
■其中庵の語源
山頭火が好んだ言葉に法華経の「普門品」にある「其中一人作是唱言」という一説がある。災難や苦痛に遭ったとき、その中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると観世音菩薩は、直ぐに救いの手を差し伸べ、皆を救い悩みから解き放たれるという意味。山頭火は庵を結ぶときには「其中庵」と名付けると友に語り、旅日記にも書き留めていた。この其中一人を自分に置き換え、その一人が住む庵と言う意味で「其中庵」と名付けた。
其中庵から東南方向にしばらく歩くと「山口市小郡文化資料館」が。山頭火の遺作、机、着物など50点あまりの展示物が。ここから小郡駅までとぼとぼ山頭火を偲びながら歩き、JRで防府まで行き防府に泊まる。
●其中庵時代「其中一人」の私のお気に入りの句
「お正月の 鴉 かあかあ」
「水音しんじつ おちつきました」
「雪空の最後の一つをもぐ」
「てふてふうらからおもてへひらひら」
「やっぱり一人がよろしい雑草」
■参考
○漂泊の俳人山頭火を辿る道(山口県)
○其中庵(山口市)
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俳句をはじめるようになってから、暇を見ては、俳人の墓を訪ねている。もうずいぶん前になりますが、山頭火と並び証される自由律の俳人・尾崎放哉の墓を小豆島に訪ねました。
旅程は、京王八王子発の夜行バスで天王寺まで。天王寺には翌朝の6:20に着きますからそれからぶらぶらと歩いて「ジャンジャン横丁」に。有名な串カツの「てんぐ」とか「八重勝」は、まだ当然開いていないので、「のんき屋」とか早朝から開いている立ち飲み&どて&串かつ屋で、「どて」とか「おでん」とかを喰いながらビールで一人乾杯。
一息ついたら、環状線と地下鉄を乗り継いで大阪港に。天保山港からは小豆島行きの船が出ているので、これの高速船にのり、小豆島の土庄(とのしょう)港へ。ここから、記念館と墓のある西光寺までは、ぶらぶら歩いて20分ほど。
寺の裏手に「南郷庵(みなんごあん)」がある。ここは、放哉が晩年に暮らしていた庵で、いまは復元され、記念館になっている。有名な句が碑になって庭にたくさん立っている。
入り口の近くには井戸が。きっとここで「足のうら洗えば白くなる」の句も生まれたのだろうな感慨深い。
庵の前が、墓地になっていて、放哉の墓は、一番上の台地にひとり離れてぽつんと建っている。
「墓のうしろに廻る」という彼の有名な句を思い出し墓の後ろに回り、パチリと一枚。彼の最後の句「春の山のうしろから煙が出だした」を思い浮かべる一枚に。
山頭火も放哉の死の3年後に墓参のために小豆島を訪ね、5泊している。土庄の酒屋で買った一升瓶を墓前に供えた(ワタクシは酒を忘れてしまった!なんたる不覚)。山頭火と放哉は、荻原井泉水門下の「層雲」の同人だったが、生前には会ったことがないという。
山頭火は、墓参の際に、放哉の句「咳をしてもひとり」という句に「放哉居士の作に和して」と前置きし、「鴉啼いてわたしもひとり」という句をつくりました。図々しくもワタクシも記念に一句。「海が光りわたしもひとり」(青椒・万次郎)でありました。合掌。
晩年の放哉を知るのに最適な本があります。最近なくなられた吉村昭さんの「海も暮れきる」(講談社)
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海も暮れきる 著者:吉村 昭 |
「障子あけて置く 海も暮れ切る」。
小豆島は、そうめんもうどんも美味。醤油もオリーブもありとてもよいところ。温泉もあります。
4月7日が放哉の命日なので、それにあわせて、また尋ねてみたいと思います。
●ワタクシのお気に入りの句(小豆島時代)
「眼の前魚とんで見せる島の夕陽に来て居る」「いつしかついてきた犬と浜辺にいる」
「足のうら洗えば白くなる」
「なん本もマッチ棒を消し海風に話す」
「花火があがる空の方が町だよ」
「迷って来たまんまの犬で居る」
「障子あけて海も暮れ切る」
「入れものが無い両手でうける」
「せきをしてもひとり」
「一つの湯飲みを置いてむせている」
「爪切ったゆびが十本ある」
「墓の裏にまわる」
「春の山のうしろから煙が出だした」
■小豆島にはギネスに認定されている世界で一番狭い海峡があります。「土渕海峡」。延長2.5km、幅は最大で400m、最小で9.93m。10歩足らずの海峡を制覇すると、役場で「世界一狭い海峡横断証明書」というものをもらうことが出来ます。
■ワタシが宿泊したホテルは「オーキドホテル」。土庄港の目の前にあるので、岡山方面行きの船に乗るのに便利なのと温泉があること。繁華街も近いので、ふらふらしながら居酒屋探検もできる。ネットで予約すると安い。
■讃岐うどんの名店もあります。
「すえ宏」、地元民のお奨めは「三太郎」。小豆島醤油のヤマヒサの醤油は美味。
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尾崎放哉句集 著者:尾崎 放哉 |
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風呂で読む放哉 著者:大星 光史 |
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我が家の卵は、青梅の川鍋養鶏場からいただいている赤玉の卵。ぷっくりと盛り上がった黄身と雑味のない旨さが気に入っている。
熱々のご飯に割りいれて、たらりと醤油をかけてかき込む卵飯のひと時は、至福のひと時である。コレステロールが高い私には、あんまり良くないのでありますが、時々の理由をつけて食す幸せは、かえられない。
最近、卵ご飯専用醤油が各社から出されてちょっとしたブームであるが、これはどれも合わない。キッコーマンの脱脂大豆の普通の、辛口のしょっぱく水っぽいような雑な醤油が卵ご飯には似合う。醤油なんか脇役なんだから、あんまり表に出てきちゃいけないんだな。
ここで一句。
ちょいと艶っぽかったかな・・・。合掌。
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白い槿の花が好きです。あの深い白さが、汚れてしまった心と体をリフレッシュしてくれるような気がします。
碧空の 精吸いたるや 白槿(青椒/万次郎)
もう一句
一人往く 遍路の道や 白槿(青椒/万次郎)
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